生まれて、気付いたら自分になっている。
やんちゃな子どもだったちいさな自分から、
友達と仲良くなったり、ケンカしたり、
虐められたり。
勉強に悩んだり、部活を楽しんだり、アルバイトを始めたりした。
就職をし、好きな人が出来、結婚をし、子どもが授かった。
気付けば、こどもたちは成人をし、
自分は精一杯だったにしても、
すこし、振り向くと、しておきたかったことが浮かんだりする。
でも、どうだろう。
しておきたい、と思えるようなことは、今まだ命がある限りは、
出来る、ただ、やるか、やらないかだけ。
命の時間というのは、不思議なもので、
これまで何度も死んでもおかしくないと言われるような事態や、
本人の自覚があるような出来事があっても、
命に終了が来ていない。
見送った人は、現実生活の近くに大勢います。
インターネット接続を始めてから、インターネットで出会った人が亡くなったことも。
見送る側にいた自分が、あるとき、見送られる側になるときは、
万人が平等に迎える。
そのとき・・・・・自分が懸命に生きたと思えるならと、若い頃に思っていた。
気付くと、今、自分はもう、そう思えるようになってきている。
年齢とすれば、100歳を超えても、まだまだこれから、と踏ん張る先輩たち。
私などはまだまだひよっこな内のひとりなのだろう。
人それぞれの寿命や歩く道の違いがある。
人生の時間だけは、一般化できない。
よくて120年以下なのだから。
人の考えと自分の考えの違いは、経験や知識、置かれていた環境による。
同時に、年齢性別職業なども、考えの違いとして現れる。
だとしても、考えの違う人と、自分とで、特別に困ることは無い。
人は人なのだ。
ただ、その、人は人、という考えの中に、
出来るだけ不調和よりは調和的であるといいなとは思う。
同時に、自分自身に対して、不調和でないことは大切だなと思う。
なりたい自分になっているか?と自分に問えば、
多分、今迄で一番、なりたい自分になっていると思う。
今日は、なんだか、こういうことを書きたくなった。
虐待・・というテーマを抱えて生きてきた私にとって、
今という時間がとても愛おしい。
他人から見てどうとかよりも、ただただ、今を迎えている自分に、
よくやってきたねと思う。
本当によくやってきたよね、と思う。
自己満足・・・・が、自分に起きるとはよもや思ってはいなかった。
満足というよりも、ずっとはるかかなたから、渇望していたようなことが、
今、手の中にあるのだという実感。
不思議な達成感がある。
今の年齢よりも前に、こんな達成感は味わったことが無い。
何が変わったのか。
不思議でならないけれど、いつの間にか、私は私でいいのだと思うようになっていた。
自尊心。
きっと今の私は、かつての自尊心を危ぶまれながら、必死で生きていた自分とは、
明らかに違うのだろう。
誰かにとっての自分ではなく、
私にとって、この生き方が出来たことが満足なのだと思う。
未来を憂いたり、過去を悔やんだり、事情を嘆いたりすることが、
今は全く無い。
どんな出来事も、タカラモノに変えていける・・とブログのサブタイトルに書いた。
苦しいことも悲しいこともうれしいことも、
十分に味わうことがもう出来ている。
今 ここから・・・・・
たった今ここからの自分を毎日、一瞬一瞬、自分で育てていく人生は、
手作りの人生は、それだけでもいいと思う。
特別な技術や能力が無い自分だとしても。
こういう気持ちを穏やかと言うのだと思う。
自分は自分でいいんだなぁと。
誰かの期待に応える必要も無い。
ただただ、精一杯生き抜いてきた自分と、そんな自分に関わってくれた人たちに、
ありがとうと思う。
今年一年を振り返るには、まだ早いだろうか。
でも、私には、この波乱に満ちた人生の達成感を味わえて、
ふれあい・出会い・別れ・共に歩いた人たちの全てに対して、
今も、私を私にしてくれたことをありがとうと思う。
弱点を克服すると念頭においてきた今年。
私はいくつの弱点を克服できただろうかと振り返ったら、
あまりにも沢山の弱点を知らず知らずに乗り切っていた。
まるで、長い年月をかけて苦悩してきた何かが、
今年一年で全て結晶化したように。
2010年は、わたしにとってそういう年だったのだと思う。
起きた出来事の全て。
がんばったなぁと思う。
一緒にがんばってくれた家族や、応援してくれた人、
不思議そうに眺めながらも、理解を示してくれた人たち。
ありがとうと思う。
まるで人生が変わってしまったのではないかと思うほど、
達成感を味わっている自分がいる。
いろいろなことと出会い、別れてきた日々のすべてが懐かしく愛おしいです。
こういう日が来ると信じていた。
だから・・私は『死に逃げをしない』と踏ん張って生き延びてきた。
悔いは無いです。一切の悔いは、無い。
残りの時間は、ただ、本当に愛おしいだけなのだと思う。
どう使おうなど悩んだり困ったりは無くて、
ただ、どう使っても楽しいのです。
何かが終わり、何かが始まるような、そんな予感を抱いて。